天保10年、松前藩士永倉甚治の次男として生まれた永倉新八は、天然理心流道場近藤勇らと親交を結び、浪士組に参加する。ともに京に上り、のちに新選組二番隊組長となり活躍する。池田屋事件では、近藤勇と共に大鉈を振るい、負傷したものの功績をあげた事は有名である。ほとんどの事件で出動し、また沖田総司が病気で動けないときは、一番隊をも指揮したと言われる。鳥羽伏見の戦い以降は、近藤勇と袂を分かち、芳賀宣道を隊長とした靖兵隊を創立しその副長となった。そこからも波乱万丈な人生を送ることになったが、余生は札幌で剣術指導をし、大正4年77歳にてこの世を去った。
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